患者さんインタビュー
J-BREATHでは慢性呼吸器疾患患者さんの在宅での療養生活をご紹介しています。疾患も環境もそして家族構成も違う中で、在宅酸素療法などを行いながら、どのように病気と向き合って日常生活を送られているか、様々な工夫を凝らして、明るく前向きに暮らしている患者さん達のインタビュー記事をご紹介します。是非、一人でも多くの方に読んでいただき、思いを共有していただけますと幸いです。
患者さんインタビュー
J-BREATHでは慢性呼吸器疾患患者さんの在宅での療養生活をご紹介しています。疾患も環境もそして家族構成も違う中で、在宅酸素療法などを行いながら、どのように病気と向き合って日常生活を送られているか、様々な工夫を凝らして、明るく前向きに暮らしている患者さん達のインタビュー記事をご紹介します。是非、一人でも多くの方に読んでいただき、思いを共有していただけますと幸いです。
J-BREATH第89号 2017年4月号掲載
在宅酸素療法は、家に籠るためではなく、
可能な限り体を動かし外に出るため
高村春仁さん
新年早々北風冷たいなか会員の高村春仁さんを訪ねました。今回は高村さんの職場にお伺いしてインタビューをしました。現在52歳(取材時2017年)。精密機器の修理が世界中から集まる部署で、一日中時計の修理の仕事を任されています。車いすでも仕事は可能ですが、精密な仕事で神経も相当使うことと思います。仕事を終えてばかりのインタビューで疲れが出ていないか心配しながら、ひさしぶりに昔の話にも花が咲きました。
1990年、25歳の頃。当時、機械関係の会社に就職し独身寮に入っていました。寮の風呂場でいきなり呼吸困難に襲われ、それまで何の兆候もなくいきなりでした。お風呂の湯に浸かっていて呼吸ができなくなりパニック状態になって、まわりにいた同期が「ただごとではない」と気づいて、「大丈夫か」と言ってくれました。直後に意識が遠のき、気がつけば自分の部屋に運ばれていました。部屋に運ばれた後に意識は戻ったけれど、まだ苦しかったので会社の指定の病院にタクシーで行きました。
当直の先生がたまたま呼吸器の専門医でした。聴診器やレントゲンで診察していただき、その段階で〝これはまずいな〟と救急車で慈恵医大病院に行き、即入院となりました。
恐らく気管支拡張の対応として点滴を行なったと思います。当然酸素もつけました。意識はあったので質問にはうまく答えられたことはよかったです。
いろいろ調べていただいて、でもはっきりした病名はわからず、暫定的に「若年性肺気腫」ではないか…と診断名を言われました。当時COPDという言葉はなかったので、写真を見ながら説明を受けましたが、肺が伸びきっている状態で、通常、横隔膜が〝ヘ〟の字になっているのが逆になっていて、横隔膜が動かず、常に呼吸が苦しく低酸素の状態でした。「それ(若年性肺気腫)に近い」という診断だったので、自分で医学専門書も読みましたがどれにも当てはまらず、精神的にも疲弊してしまいました。
とにかく体も動かず呼吸が苦しい状況がずっと続き、精神的にも参って仕事もできないような状況で、これからどうやって生きていけばよいのか途方に暮れました。
遺伝性のものと言われ親兄弟全員、事細かく検査を受けました。弟二人も若干COPDの傾向があると診断されました。重症度は違うのですが、普通よりも肺が伸びて大きくなっている状態でした。自分の子供がそうなったのは親の責任と感じて、母はそういう体に産んでしまって申し訳ないという感じでした。
当時も肺気腫に関するよい薬はなく、恐らく喘息の患者さんと同じ治療法でした。とにかく気管支拡張剤は常に服用し、ネブザイラーでごまかしたようなもので、10年ほどは対処療法しかありませんでした。
マクロライド療法と吸入で、極力ステロイドは使わなくて、急性増悪にならない限りは使っていません。吸入の薬を使うことで自己管理がしやすくなりました。
いません。日々の病状も本人しか分からないものです”(高村さん)
風邪をひかないことが第一で、睡眠をしっかりとることも重要です。苦しくなると目が覚めるので、寝るのをどうするかいつも考えています。寒い時期には温度差がこたえるので、着替える服を温めておきます。冷たい服を着ると、そこでまず苦しくなります。お風呂に入るときは脱衣所も温めておいて、脱いだり着たりする動作も苦しくなるので、椅子に座って行ないます。自分の場合は下着を着たまま浴室に入り、シャワーで足元のみを温め、徐々に脱ぐようにしています。
家から会社まで車通勤です。駐車場に着くと先ず酸素ボンベと車椅子を下ろします。酸素吸入をしていても少しの運動のみで低酸素になるので、少し動いて動作を止め、リカバリーしたらまた動くを繰り返しながら、車から降りて車いすで仕事場まで15分ほどかけて移動します。
妻と娘との3人家族です。注意しているのは家族が風邪をもらってこないこと。家で一人が風邪を引くと必ずうつるので、風邪を引かないように気をつけています。そこもしかしなかなか難しく、子供は必ず風邪をもらってきます。潜伏期間もあるので普段も極力接近しないようにしています。家の中はなるべく掃除をして、チリ埃を出さないように、協力してもらっています。
家の中で数メートルでも歩くと苦しくなりますが、「それ取って」と頼むと家族には煩わしいと思われてしまいます。そうすると患者は度々頼めなくなる。日常生活で辛い思いをしている患者さんは多いのではないか特に独居の人は協力してもらうことができないので、日常生活のストレスも多いと思います。
吸えない、吐けない状態で、普通の人だと息苦しいときはまず〝吸おう〟とします。COPDでは吸っても吸っても息は入ってきません。「呼」は吐く、「吸」は吸う。〝吸呼(きゅうこ)〟ではないので、まず吐かなければいけないと教えられました。そのため、口すぼめ呼吸をします。なるべく、苦しいけども口をすぼめてお腹から出し切ります。吐ききると自然に入ってくるので、これを繰り返し行ないます。
家の中にじっと動かないでいると、引き籠りよりももっとひどく、寝たきりに近くなります。HOTの患者さんのQOLを極力あげるには、苦しいなりに動くことが大事です。在宅酸素療法になることは家に居るためではなく、酸素を使って可能な限り体を動かし外に出ることで、いかに酸素をうまく使って引き籠りにならないようにするかだと思います。
HOT患者の日常のことをお医者さんも実はあまりよくわかっていません。当然、日々の病状も本人しか分からないものです。心から信頼のおける先生に巡り合えていないことも多いと思います。患者としては、信頼できる先生を見つけて、きちんとした診断を受けて、適切な指導をしてもらう。そうしないと、治療で病気はよくなるかもしれないけれど、生活面はよくならないと思います。患者には生活面までしっかり見てもらえる先生が必要です。私の場合は家族の状況などプライベートの部分も話をして、先生に診察時にご指導いただいています。
私の先生はとても褒めてくれます。この世で唯一褒めてくれる人かも知れません。「頑張りすぎないように」といつもアドバイスしてもらっている。いつも何かをやろうと思って限界ぎりぎりまで頑張ってしまいますが、「とにかくできる範囲で無理せずやりなさい」と度々言われます。信頼できる先生に巡り合えて、感謝しています。
インタビューを終えて
高村さんに最初にお会いしたのは二十数年前、先代理事長の(故)遠山雄二が患者会に入会したときです。東京都呼吸機能障害者の会「みどり会」の名称でした。当時の会長は体調が思わしくなく不在でしたが、高村さんは青年らしく溌溂と会の手伝いをしておられたのが印象的でした。
紆余曲折があって「みどり会」はその後、(故)遠山が会長を引き継ぐことになり、後NPO法人「日本呼吸器障害者情報センター」を立ち上げました。単なる患者会の役割だけではなく、当時まだ乏しかった呼吸器疾患の〝医療の情報〟と〝患者会の情報〟の発信を、医療者と共有できる場として育て、現在に至っています。その間、高村さんとはたまに連絡を取り合って状況を確認したりもしていました。お会いすると「昔のあの頃(みどり会)は体ももっと動いたし、夢もあって楽しかった」などとおっしゃいます。彼はまだ50歳代です、何か応援できることがあればよいのにと考えています。
長時間のインタビューでしたが、お疲れさまでした。今後ともよろしく。どうかお大事にしてください。(遠山和子)