lw2024main.png COPD啓発 ラング・ウォーク2024 開催 img20240729005038905123.png 8月1日は「肺の日」です。 0804.png 中高年女性の間で非結核性抗酸菌(NTM)症が増加 jb0701s.png 世界的に増加している慢性の呼吸器の病気です img20240508232636396166.png 設立25周年を迎えました photo-1514923995763-768e52f5af87_1080.jpg 活動へのご支援をお願いします。 photo-1495653797063-114787b77b23_1080.jpg ひとりで悩まず、お声かけください。 会報紙「J-BREATH 」 「J-BREATH 」第134号 2024/10/10発行 copd2021.png 5月9日は「呼吸の日」です。

患者さんインタビュー

 J-BREATHでは慢性呼吸器疾患患者さんの在宅での療養生活をご紹介しています。疾患も環境もそして家族構成も違う中で、在宅酸素療法などを行いながら、どのように病気と向き合って日常生活を送られているか、様々な工夫を凝らして、明るく前向きに暮らしている患者さん達のインタビュー記事をご紹介します。是非、一人でも多くの方に読んでいただき、思いを共有していただけますと幸いです。

患者さんインタビュー

 J-BREATHでは慢性呼吸器疾患患者さんの在宅での療養生活をご紹介しています。疾患も環境もそして家族構成も違う中で、在宅酸素療法などを行いながら、どのように病気と向き合って日常生活を送られているか、様々な工夫を凝らして、明るく前向きに暮らしている患者さん達のインタビュー記事をご紹介します。是非、一人でも多くの方に読んでいただき、思いを共有していただけますと幸いです。


 J-BREATH第115号 2021年8月号掲載

コロナ禍で外出を警戒、散歩もできず
体と対話しながらコンディショニング

 

澤 憲明さん(東京・国分寺市)

 東京都国分寺市にお住まいの澤憲明さん(79歳)は、2013年1月、70歳のときにCOPDと診断されました。在宅酸素療法は9年目になります。新型コロナウイルス感染拡大で中断を余儀なくされていた最中でのインタビューとなり、直接お会いするわけにはいかないので、オンライン会議ソフトでお聞ききしました(2021年5月2日に実施)。

 

50年吸ってやめたタバコ

 
病院に行こうと思ったきっかけは?
 二十歳でタバコを吸い始め、ちょうど50年間吸い続けて70歳になって、これを機にもうやめるかなと思っていたところでした。息子や家内に「最近、咳の感じがおかしいよ」と言われました。息苦しさも感じていたので、病院へ行ってレントゲン撮影など検査を受けました。診断は「肺気腫ですね」。さらに医師は「もうやばいですよ」とも。そしてすぐに、酸素ボンベがお友達になってしまいました。
 タバコはただちにやめました。それ以後一切吸っていないし、触れてもいない。もう一度吸いたいと思うこともありません。ただ、口さみしいというのか、たまに手が出たりしてつまみ食いみたいな間食が増えました。こうなる前の体重は57キロくらいだったのですが、その後毎月1キロずつきれいに増えていくのです。58キロになり59キロになり…。医師に「60キロは超えないように」と言われていて、いまは59キロに抑えています。
 

コロナで変わった日常

 

 澤家は5人家族で、普段は夫人と二人、戸建て住宅の2階で過ごし、食事や入浴、来客のときは息子夫婦と孫のいる1階へ。酸素濃縮器は2階にあるので、階下へはボンベに切り替えて持って下りるそうです。


新型コロナウイルス感染拡大で、生活は変わりましたか?
 1階で食事をするときも、息子夫婦や孫とは時間をずらしてもらったりしています。家でマスクなどしませんが、息子は仕事で外回りが多いようなので、もらって帰らないでくれよと心配はしています。しかし外出については、ここへきてすっかり臆病になりました。最大の変化は散歩する時間がなくなったこと。コロナの前は毎日2時間ぐらいかけて、近くの公園をぐるっと一回りするなどしていましたが、それも怖くてできなくなりました。
 それに症状の変化も手伝っているかもしれません。私の住まいは周囲よりいくらかくぼ地にあって、街へ出る道路が上り坂になっている。家の周りの散歩だけでは物足りないし、かといって少し遠出をと思うと坂道がある。それを上がるのがだんだんきつくなってきました。
 

 酸素の処方流量は、日中も就寝中も毎分2.0L。就寝時は以前1.5Lだったが、今年になって2.0Lに増えたとのこと。


食事に気を使ったりしていますか?
  食事はいつもおいしく食べています。それに〝百薬の長〟も毎晩おいしく服用しています(笑)。8年前に病院で診断を受けたとき、晩酌はこれからはダメでしょうかと先生に恐る恐る質問したら、「そこそこならいいですよ」。うれしかったですね。健康診断で採血検査した表を見ると、ほとんど許容幅の真ん中あたりの適正値に収まっています。コレステロールだけはちょっと高めのようですが。主治医から処方されている薬は、去痰薬、高血圧の漢方薬、吸入薬(スピリーバ)だけです。
 
 

 

日常のあらゆる動作がトレーニング

 
毎日の散歩ができなくなって、家で運動をしていますか?
 むしろ私は体を動かすのが好きで、物事の考え方もどちらかといえば体育会系なのです。子どものころ好きな映画はターザン。郊外で育ったので、友人たちと林の中で木にロープを吊るしてぶら下がったりして遊び回りました。
 コンディショニング的なことを、私はいつも考えます。日常生活のあらゆる動作もトレーニングの一つと考えて行動してきました。階段を上り下りするときは必ず爪先でとか、街を歩くときでも車道と歩道の間の白線の上を大きくずれないように歩いてみたり、電柱の間隔ごとに早足で歩いて、ゆっくり歩いて、また早足で…、つまりインターバルトレーニングを試してみたりとか。
 家の中でも、体を動かす工夫をあれこれしています。以前は散歩するとき腕を意識して後ろに強く降りながら歩いていたのですが、コロナで散歩しにくくなってからは、水泳のメドレーリレーのバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形の4種類の腕の動きをして、体がこれ以上固くならないよう努めています。4種類の動きはすべて違う。そこがポイントです。

 75歳くらいのころ、体操をする番組の画面を観ながら同じように腕を上げたとき、画面上の人と私とでずいぶん違いがあると気づいて“あれ?”と思いました。二の腕が耳の辺りに来るべきなのが、年を取ったせいか自分では上げているつもりでも上がっていないのです。グーッと後ろに伸ばそうとすると痛みがある。だんだん固くなってきたなと思いました。それで、こまめに腕を回しているのですが、家内たちは何をしているのか知らないかもしれない。昔の年寄りが野外で腕や手首をぶらぶらしていたりするのをよく見ましたが、自分もとうとうそうなったかと思いながら“ぶらぶら”させています(笑)。自己流ですが効果はあるようで、前屈してもまだ手が床につきますよ。以前は手のひらが全部ついたのですが、このごろ指先しかつかないのはお腹が出てきたせいかもしれません。
 

右利きなのに左手でも箸が使える

 
J-BREATHの会員から、どんな運動をしたらよいかわからないという声を聞きます。何かヒントになるようなことは?
 人の動きを見ていると、前かがみに屈伸をするとき息を吸った状態のまま前屈しようとしている人が意外と多いのです。「動くときは空気を吐いてください」と背中を押してあげると、いままで半分くらいしか前屈できず「私、体が固いのよ」なんて言っている人でも、深く前屈できるものです。足のすねまでしか届かなかった人でも、息を吐きながらだと足首までつかめるようになります。

 それからバランス。たとえば野球のバッティングの動きで、バットを振る。これを何回もやっていると、同じ筋肉を同じようにしか使わないのですね。右利きか左利きかによって体のバランスは異なってきます。そこで、戻すために逆のスイングをしてバランスをとる。そういうことも必要かと考え、配慮しています。私は右利きなので右手で箸を持って食事をしますが、左手で食べようと思えば箸でつまむことができます。私はそういうことを考えながら体を動かします。もしかしたら参考になるかもしれません。
 
J-BREATH入会のきっかけは?
 息子に紹介されました。こういう患者会があって皆さんこういう集まりをやっているよ、と。同じ境遇の人たちと話し合うことができればと、入会しました。呼吸法に関しても昔から気にしていましたので。
 要望としては、患者同士で情報交換できる場や機会を、何らかの形で仲介してもらえればと思っています。運動にしろ日常生活にしろ、自分はこんなことをやっているけれども、これで良いのか悪いのか分からず、自己判断でやるしかない。アドバイス、参考になることをどなたかがやっていて、良い方法があれば自分もトライしたいし、自分のしていることがほかの人の参考になればとも思います。

コロナ禍が終息したとき、真っ先に何をしたいですか?
 いやぁ、それはやはり飲み会です! 友人たちと乾杯しあいたいですね。みんなの元気な顔を見たい。
 

インタビューを終えて

 自身を「体育会系」と言うものの、精神主義ではなく、ご自分の体と常に対話をしながらコンディショニングをされていて、理学療法士のお話を聞いているかのようでした。なおJ-Breathを紹介した息子さん(英司さん)は、かつて患者さんらの親睦を目的に「箱根バスツアー」を実施したとき、イベント企画を依頼した会社の担当者でした。(事務局)