photo-1514923995763-768e52f5af87_1080.jpg 活動へのご支援をお願いします。 photo-1495653797063-114787b77b23_1080.jpg ひとりで悩まず、お声かけください。 会報紙「J-BREATH 」 「J-BREATH 」第131号 2024/4/4発行 copd2021.png 5月9日は「呼吸の日」です。 img20220809111242763953.png 2023 COPD啓発ラング・ウォークは10月28日開催 img20230731010147829785.png 2023 息いきお散歩ラリー開催

J-BREATH 連載講座

講師:木田 厚瑞先生 

 呼吸ケアクリニック東京 臨床呼吸器疾患研究所 医療法人至心医療会 理事長


J~BREATH第80号 2015年10月号掲載

第12回 在宅酸素療法はどのように進んで来たか?

 

HOT(ホット)と呼ばれるまで

 
 在宅酸素療法が健康保険の対象となってから、今年2015年はちょうど30年目に当たります。現在、わが国で在宅酸素療法の治療を受けている患者さんは約万人と言われます。在宅酸素療法は重い呼吸器病の患者さんが機器を使って自宅で生活することを可能にしました。糖尿病患者によるインスリン自己注射や慢性腎不全のための在宅透析などのいくつかの在宅ケアの中でも、酸素療法は新しい治療が短期間に多くの患者さんに行きわたったということでも注目されています。私が関わったのは1980年代の初めからでした。在宅酸素療法に取り組みながら医師としての人生の大半を一緒に歩んできたことになります。
 在宅酸素療法は欧米では長期酸素法、LTOTと呼ばれています。これは、long-termoxygen therapyを短く呼んだものです。わが国では在宅酸素療法と呼ばれています。HOTはhomeoxygentherapyの略語です。最近では欧米の医師たちがHOTと呼ぶこともあり広く使われていますが、、名詞を三つ並べた和製英語です。実はHOTという略称は、私が1981年に最初に使用したものです。当時のことを思い出すと懐かしい気持ちになります。1981年、ある学会で、私は高齢者を対象とした酸素療法の臨床研究に関する成果を発表しました。私の司会を務められた東京大学医学部老年教室教授の原澤道美先生はわたくしの発表がおわったあとの討論で「君、HOTは正しい英語ですか?」、先生は冗談まぎれにそう私に尋ねられました。それに対し、「いいえ、とんでもありません、HOTは私が今回、作った和製英語です」と答えたことを思い出します。しかし、この後、わが国では次第にHOTの呼び名が広がっていきました。COPD(慢性閉塞性肺疾患)は、COLDとも呼ばれています。私が初めてHOTという言葉を用いたとき、HOTはCOLDに対する治療であると、考えていたからです。
 

HOTに関わったきっかけ

 
 1978年、カナダで研究を始めてしばらくして米国、コロラド大学のトーマス・ペティ教授が大学の講義に来られたことがありました。立て板に水というようなしゃべり方で、講義の内容は白人に多い嚢胞性肺線維症という病気についてでした。この病気は遺伝性の病気で痰が多く、気管支の感染を繰り返し次第に悪化し、呼吸不全になっていく。治療はいまでも難しい病気の一つです。講義の最後にその病気に罹った患者さんが車椅子で出てきました。歳の女性でした。驚いたのはその人が、酸素療法をしていたことです。車椅子の座席下には小さな箱のようなものが置いてあり、ここから酸素を運ぶチューブが延ばされそれを吸っていたのです。家では別の大きな機器を使い酸素を吸っているとのことでした。自分の家で酸素が吸え、しかも外出もできる、この時の光景は私に深く刻まれました。ペティ教授は、在宅酸素療法を世界で初めて実現させた人とのことでした。これが機会となりペティ教授と親しくなり、先生が亡くなるまでいろいろ教えていただくことになりました。カナダでは、週に1回、助教授と一緒に呼吸器内科の回診をしていましたが、このときには患者さんは病棟で据え置き型の酸素吸入装置を使っており退院のときには自宅に運びこむ、と言っている光景を何度も目にしました。
 カナダ留学から帰った私は東京都老人医療センター(現、東京都健康長寿医療センター)の呼吸器科に勤めていました。1981年の夏、八王子のテイジンの研究所へ呼ばれたことがありました。そこで見せられたのがいまの濃縮器の第1号でした。これが治療用として使えるかどうかをテストしてほしいとのことでした。そこで東京都老人医療センターに運んでもらい、リハビリテ―ション科の中の小さな部屋に置いてテストを開始しました。ここはスペースもあり、当時、マススペクトロメーターというとても高価なスウェーデン製の測定機器を呼吸器内科が持っており、場所が狭いのでここに置いてあったのです。これは酸素、炭酸ガスなど5種類のガス体の物質の濃度を連続して記録に取ることができるという当時としては最新鋭の機器でした。1号機はさんざんでした。モーターをべニア板で囲んだというような簡単な機器でしたので音がうるさく、しかも使っているうちに酸素濃度が次第に下がっていくことがわかりました。仕組みは現在のものとは異なり、富化膜と呼ばれる高分子の細かな編み目の膜を通して空気の中から分子の大きさの異なる酸素だけを通過させ、繰り返しで濃度を上げていくような仕組みでした。最大で40%くらいの酸素濃度しか得られませんが当時としては画期的な機器でした。使っているうちに酸素チューブに結露が起こり、そのうちチューブの中は水びたしになってしまいました。しかし、これらの問題点は1年あまりのうちに全て解決し新しい機器が完成し、臨床治験が始まりました。これにも参加し、自宅でこの機器が安全に使え、その効果も検証されました。
 同じころのある日、病院長であった村上元孝先生に呼ばれ慢性呼吸不全を研究テーマとして取り組みなさいと言われました。村上先生は、私の母校の金沢大学医学部第二内科の教授で病院長でしたが、新しく病院ができ院長として赴任されたのでした。村上先生は、呼吸不全は高齢者の病気という点できわめて大切なテーマであるからと、先生が集められた約1,500枚余りの文献カードを貸して下さいました。村上先生のカードは細分類、細々分類されており、分類された小見出しを追っていくだけで現在の問題点が俯瞰的にわかるようになっていました。数日かけてお借りした全カードを写しとったことを懐かしく思い出します。
 慢性呼吸不全は高齢者に多い病気です。当時、呼吸器内科には長期に酸素吸入を必要とするという治療のためだけに最長900日以上の入院になっていた人が数人いました。平均の入院期間は60日を超えていました。いまでは2週間くらいですから考えられないくらい長い入院の人が多かったのです。今でも思い出すのは、ある新聞社の記者をしていたまだ若い50歳代の患者さんのことです。重症のCOPDでもう2年以上の入院になっていました。中学生の一人娘が、父親が家にいないのでグレてきたので1泊でもよいから帰り、自宅で言い聞かせたいというのがその人の希望でした。当時、酸素を自宅で吸う治療を行うには重い鉄製の大きなボンベを家に置くしか手がありません。すでに一部の病院では試験的に始めているところがありました。病院では、1分間に2L(リットル)の酸素を吸っていましたから24時間では少なくとも3,000L近くの酸素が必要となります。病院からは遠いので2日間の外泊とすると、6,000Lの大きなボンベが必要になります。私は酸素会社へ交渉し、了解を取りつけました。自宅に備え付けてもらうつもりで全て準備が整ったところで病院を管理している事務から「中止」と言われました。理由は消防法違反だというのです。外泊中の患者の管理責任は病院にあります。だれが責任を取るのだと恫喝され、結局、外泊はできなくなりました。
 1985年、保険が通るまでの間も大変でした。安全で効果的な機器があり、そのテストもすでに終わっていました。しかし、消防法が問題でした。そのころ、呼吸器内科に歳あまりの間質性肺炎の患者さんが入院してきました。入院中は酸素を吸っており楽でしたが退院してからまた苦しくなりました。当時、私は、埼玉県と東京の県境に近い所に住んでいました。病院までは分くらいの近いところでしたが周囲はまだ畑ばかりでのどかな地でした。その患者さんの家は、私の家から分くらいのところでした。お百姓でしたが持っている畑の総面積は4町歩(!)とのことでした。ある日曜日の朝早く、その人が長男の運転する野菜運搬車でいきなり私の家を訪れたのです。理由は苦しくてたまらないので家で酸素を吸える装置を貸してほしいというものでした。入院中には濃縮器を使っていましたからよく知っているのです。私は、まだ正式な許可が得られていない医療機器であり、しかも消防法があり自由には使えないと説明しましたが、その人は、「家なんか古いし、どうせ建て替えようと思っているのだから丸焼けになってもよい」とまで言います。念のため一緒に私は自宅を見に行きました。広い農家で建物が敷地の中に点在しており、庭には、にんじんと大根が山になっておいてあり、数人の人が出荷の準備をしていました。患者さんの強い剣幕に押され私は言うとおりにせざるを得なくなりました。また病院の事務職員が猛反対で、責任は誰がとると大騒ぎでした。私は、責任は自分がとるから、と言い放ち、テイジンに新しい機器を届けてもらいました。日曜日ごとに私は往診に行って、安全にうまく使っているかを確認しに行きました。患者さんも元気で結局、3年近くの在宅酸素療法はうまくいきました。
 この人が最初に開始してから、自分も、自分もという患者さんがいて1985年、健康保険が使えるようになった時点で呼吸器内科では人くらいの患者さんが在宅酸素療法を行っていました。もちろん、事故は起こったことがありません。こうして東京都老人医療センター呼吸器内科では1980年代から在宅酸素療法に積極的に取り組み、1996年の段階で550人を超える患者さんに酸素療法の指導をしてきました。この数字は全国でもトップであったと思います。
 1997年、私は、『在宅酸素療法・新しいチーム医療をめざして』(医学書院)という単行書を出版しました。このときにHOT治療を受けている患者さんは全国で約5万人でした。看護師が定期的に訪問して詳しく調査し、問題があれば教えていました。これからもいろいろな問題点が明らかになりました。
 

酸素療法の歴史

 
 ものが燃えるには何かの物質が関係しているのではないか、という疑問は1660年ごろ、日本でいえば江戸時代初期のころに欧米では重要な研究テーマとなっていました。酸素は英国人、ジョセフ・プリストリーに発見されます(1775年)。プリストリーは英国が誇る科学者の一人でバーミンガムには試験管を持つ彼の銅像が立っています。しかし、物を燃えやすくしてもそれが治療に役立つかどうかの証明は難しい。実際、治療として酸素が初めて使われたのは1885年のことでした。
 1913年には酸素不足、低酸素血症が生体に危険であることが判明します。重症肺炎の患者さんに酸素吸入が実施されたのは1922年、アルバン・バラックによるものでした。最初の患者さんは代であり、重症の肺炎でしたが酸素吸入のおかげで救命でき、歳以上の長生きでした。彼が生き証人となり酸素療法の大切さをあちらこちらで話してくれたのでこの治療法はまたたく間に広がっていきました。バラックは先のトーマス・ペティ教授と親しくしていました。1959年、バラックがペティ先生に送った手紙に添えられていた漫画が酸素療法開始のヒントを与えました(図1)。COPDの患者さんが小さな携帯用酸素ボンベを持ち信号を渡ろうとしている図です。当時、COPDで慢性呼吸不全の患者さんは、外出もままならぬ不自由な生活をしていました。「酸素を持って明るい外へ出よう!」、これを実現したのがペティ先生のグループでした。1965年のことです。
 

図1
この漫画がヒントとなり宇宙飛行士が使ったジュラルミン製のボンベを在宅酸素療法の治療に使うという発想となりました。酸素ボンベを持って普通の生活を送る、これが目的です。


 酸素吸入がなぜ、慢性呼吸不全の患者さんの治療になるのか。慢性呼吸不全がどのようにしておこるのか、は複雑です。慢性呼吸不全は、どうして起こるのか、起こるとどういう障害が起こるか、をまとめたのが図2です。詳しい説明は、私の『在宅酸素療法・新しいチーム医療をめざして』(医学書院)にありますから参照してください。大切なことは、酸素が生きて生活している24時間を通して必要であること、また酸素はたくさん吸っておき、時々、止めるという吸い溜めがきかないこと、酸素の欠乏は全身の臓器に及ぶということです。中でも脳は体の臓器の中でもたくさんの酸素を必要とする臓器として知られています。最近の研究では酸素不足が続くと、脳の海馬の萎縮が起こってくる、つまりアルツハイマー病と同じ認知症を起こすことが判明しました。胃や腸など消化管に酸素不足が起これば消化、吸収が悪くなり痩せてくる、反対に酸素吸入を始めると太り始める酸素吸入を始めると食欲が良くなり、またよく眠れるようになった、と言う患者さんの声をたくさんの人から聞きます。酸素を吸うと、それまで口から空気を吸い、肺を通して体の中に必要な酸素を取り込んできましたが、濃い酸素(約95%以上)を吸うことにより空気中の酸素(20.9%)を取り込む空気は少ない量で済みます。空気を取り込むのに使っていたエネルギーを少なくすることができます。注意すべきことは、酸素が足りないから酸素を吸うのであって、息切れがあるから酸素を吸うのではない、ということです。息切れは薬やリハビリなど、別の方法で解決しなければなりません。
 

図2
慢性呼吸不全では動脈の中を流れる血液の酸素不足が起こります。これは主に四つの原因の複合的な効果です。血液の酸素不足が起こると全身の臓器に酸素不足の障害が起こってきます。.脳はその中でも一番、酸素が必要な臓器として知られています。


 酸素療法の効果を検証した研究成果は多くありません。英国で行われたBMRC studyとペティ先生たちにより行われたNOTT studyが有名なものです。これは70歳以下の重症で慢性呼吸不全の患者さんたちに協力してもらって行った臨床試験です。前者は酸素を全く吸わなかった人と夜間だけ吸った患者さんの生存期間を比較したもので、酸素を吸った人たちが長生きしていることが分かります(図3)。後者は夜間のみの酸素療法と、24時間吸った場合の生存率を調べたものです。24時間吸った方が長生きしていることが分かります。これらの結果から、COPDで慢性呼吸不全の人では、酸素を吸わないより吸った人が長生きし、それも時間が長ければ長いほど良いということが分かりました。
 

 

図3
上図:イギリスのデータ下図:アメリカのデータ。ペテイ教授の研究によるもの。イギリスのデータでは酸素吸入を行ったほうがしない人よりも長生きする、それも女性のほうが、効果が大きいことを示します。アメリカのデータでは、夜間だけよりも24時間吸入を行ったほうが長生きすることを示しています。
いずれもCOPDの患者であり、しかも70歳以下を対象として調べたものです。最近の研究では、COPDの死因は肺炎、心臓病、肺がんなど多様であることが注目されています。


 ただ、この研究では70歳以下のCOPDの人だけを調べたこと、死因を詳しく調べていないこと、具体的には肺がんで亡くなった人も肺炎や心筋梗塞で亡くなった人も一緒に統計処理されており、今の医学情報からいえばまことに不備です。また日本で在宅酸素療法を受けている患者さんの大部分は歳以上であり、これがあてはまるのかどうかは疑問です。しかし、今の時代にあって重症の慢性呼吸不全の患者さんに割り付け方式で無作為にあなたは酸素か空気を吸ってください、どちらに割り付けられているかは主治医も分かりません、というような臨床治験は不可能です。「在宅酸素療法の効果は確かですか?」と問われればあいまいさを残していると言わざるを得ないでしょう。さらに日本では在宅酸素療法という呼び名の通り、「在宅医療」と「酸素療法」が一緒になっているのです。ペティ先生たちが検証したのは「酸素療法」の効果であり、「在宅医療」の効果ではありませんでした。このことも念頭に置く必要があります。