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J-BREATH 連載講座

講師:木田 厚瑞先生 

 呼吸ケアクリニック東京 臨床呼吸器疾患研究所 医療法人至心医療会 理事長


J-BREATH第73号 2014年8月号掲載

第5回 間質性肺炎という難しい病気

 

患者さんが受診するまで


 J-BREATH紙の読者にも間質性肺炎と診断されて困っている方は大勢、いらっしゃることと思います。重い人では在宅酸素療法を行っていらっしゃる人もいることでしょう。間質性肺炎は呼吸器の専門医にとっても診断も治療も難しい病気の一つです。しかしここ2、3年間にこの病気についての研究はかなり進歩してきました。ただ進歩がすぐに患者さん方に還元されていかないところが残念です。
 間質性肺炎が進んだ状態は間質性肺線維症とも呼ばれます。英語で表現したときにはどちらかといえば後者に近いのですが、ここでは間質性肺炎という言葉を使うことにします。
 私の外来にもたくさんの間質性肺炎の患者さんが受診されます。この病気で受診する患者さんは、大きく分けて三つのきっかけがあるようです。一つは、長い坂道や階段を上るときに息苦しさを感ずるようになった、あるいは空咳が止まらないという場合です。息苦しさの進み方が、数日間の間に強く感ずるという急激な進み方の場合はより重症です。間質性肺炎が経過中に暴走し急性悪化の場合が多いからです。他方、数か月間、場合によっては1、2年間のうちにゆっくり進んできたと言う人もいます。空咳が続く場合も問題です。それも数ヵ月にわたって治りにくい咳が怪しい。多くの患者さんはカゼが治らないので困っているといわれます。カゼは万病の元と言われますがカゼの大多数はウィルスの感染でおこります。インフルエンザはその代表格ですが通常は発症してから1週間から10日間で治ります。またカゼの場合、症状の一番悪いピークがはっきりしており、それを越えると日ごとにすっきりしてくることも特徴です。この期間を越えても症状が続く場合はカゼと思い込んではなりません。三つ目は健診の胸部レントゲン写真の結果、間質性肺炎が疑われたという場合です。健診では必ず胸部レントゲン写真が撮られますが肺に淡い陰影や蜂の巣のような像が肺の下の方に見られる場合に強く疑われます。
 

間質性肺炎とは


 間質性肺炎という病気を患者さん、ご家族に分かりやすく説明するのは簡単ではありません。日本呼吸器学会のホームページには「市民のみなさまへ」という欄があります。ここを見ると間質性肺炎の中の次の五つの場合の特徴が紹介されています。特発性間質性肺炎、放射線肺炎、サルコイドーシス、特発性器質化肺炎、膠原病肺です。
 この中で特発性間質性肺炎は難病に指定されている間質性肺炎の代表です。そこには次のように書かれています。
 「肺は肺胞というブドウの房状の小さな袋がたくさん集まっています。間質性肺炎は、この肺胞の壁の正常構造が壊れて線維化(ケロイドのような傷あと)が起こる病気です。肺胞の壁を通して人は酸素を取り込んでいますが、この壁が固く、厚くなるために、酸素が取り込みづらくなります。間質性肺炎の原因はさまざまで、膠原病、じん肺、放射線、アレルギー性のものなどありますが、原因不明のものを特発性間質性肺炎といいます。症状は多くは50歳代以降に、労作時の息切れや咳嗽を自覚します。特発性間質性肺炎は患者さんの病状から7つの病型に分類されます。問診、身体診察に加えて、胸部エックス線画像や、CT検査、呼吸機能検査、運動時の血液中の酸素の量の低下の割合などから病気の勢いを評価し、病型の分類を推測します。気管支内視鏡検査により肺の洗浄検査等を行うことがあります。最も正確な診断は肺の組織検査によって行われますが、全身麻酔による手術を必要とするため、患者さんの状態によって施行すべきかを検討しています」。
 この説明は難しい病気を短く説明しようとして苦労している様子が読みとれます。内容はきわめて正しい。しかし、これで分かってもらえるだろうかという不安はあります。
 

多彩な間質性肺炎


 間質性肺炎は多くの呼吸器の病気の中でも診断や治療がてこずるやっかいな病気です。私が研修医であったころ間質性肺炎には150種類以上があるといわれました。この50年近くの間に詳しい原因が分かり新しく分類されたものもありますからさらに増えていることでしょう。
 私は呼吸器内科、血液内科で研修医の時代の大半を過ごしましたが、そこで最初にであったのがとびきり難しい間質性肺炎でした。37歳の男性が坂道を上るときに息が苦しいという理由で大学病院に入院してきました。胸部のレントゲン写真では左右の肺に淡い影が見られます。その患者さんは5年前に別の大学病院に入院し、肺の手術を受けたということでした。患者さんは生まれつき皮膚、毛髪の色素がない白皮症(白子)であり髪の毛も薄茶色であり、眼は薄い青色調で、まるで白人のようでした。詳しく聞くと某大学で行われた手術というのは胸部を開いて肺の一部を切りとる肺生検を行ったらしいことが分かりました。結果をそこに問い合わせると間質性肺炎だということを確認するために行ったとの返事がきました。手術で切りとった肺の病理検査では間質性肺炎でした。しかも今回の入院はそれが急に悪化した状態で重症です。この白皮症で間質性肺炎の患者さんの病気がハーマンスキー・パドラック症候群という聞いたことがない病気で、しかも遺伝子の異常でおこる珍しい間質性肺炎だと知ったのはそれから20年以上も経ってからでした。間質性肺炎が家族の中で起こることは以前から知られていましたが起こしやすい体質をもった人がいることは事実です。
 

肺胞の壁が厚くなる


 間質性肺炎は文字通り、肺の間質に治りにくい炎症を起こす病気です。これを患者さんに分かりやすく説明するのにいつも苦労します。
 呼吸は肺のはたらきによっています。鼻から始まった空気の通り道は気道と呼ばれます。気道は気管からはじまり左右に分かれ気管支となり、左右に分かれながら細くなります。気管はのどの部分にさわってみると硬くふれます。硬い理由は壁がつぶれないように軟骨が張り巡らされているからです。気管支が細くなるにつれ壁の軟骨が減っていきます。軟骨がなくなった細い気管支はつぶれやすくなりますが自由に伸び縮みができるようになり、なめらかに肺を動かすには好都合です。壁から軟骨が消えてしまった太さの気管支はまるで生ゴムの管のようですが壁のところどころに肺胞が袋のように付き、やがてブドウの房のように袋だらけになります(図1、図2)。
 

図1:呼吸器の構造を示しています。鼻や口を経て空気は肺の中に入っていきます。気管は左右の肺に分かれ、分かれて細くなったものが二つに分かれることを繰り返しだんだん細い気管支になっていきます。いちばん細い「細気管支」と呼ばれるところにはたくさんの肺胞がブドウの実のように付いています。肺胞の数は3億個以上といわれており、その広さは 70 平米以上になります。この広い面積を利用して酸素を取り入れ、不要になった二酸化炭素を体の外に排出している臓器が肺です。

 


図2:胸部レントゲン写真で見られる構造を示します。さまざまな構造が重なっています。重い肺炎や肺がパンクした気胸や大きな肺がんはこのようなレントゲン写真でも判別できますが、最近では胸部CT写真でそれこそ数ミリの病変があっても発見できるようになってきています。間質性肺炎は胸部CTではっきりその様子を見ることができます。その様子は次回お見せします。

 
 肺胞は袋状ですがゴム風船のように伸び縮みするのではなく、しいて言えば紙風船のようにたたみこまれるのです。雨傘をすぼめるようにといった方が分かりやすいかも知れません。しかし肺全体として伸び縮みするというのが空気を取り込むためにはきわめて大切です。気管支が分かれやがてブドウの房のような肺胞の構造になり、それぞれの肺胞が互いにバランスを保ち伸び縮みしている様子は模式図にするとよく分かります(図3)。
 

 

図3:肺は胸郭とよばれるちょうちんのような構造の中にすっぽり入っています。ちょうちんの骨にあたる部分は肋骨です。ちょうちんの底にあたるのは横隔膜です。横隔膜が下の方に引っ張られると中の陰圧が強くなり外に引っ張られるように肺が膨らみます。肺は全体として呼吸に合わせて膨らんだり縮んだりをくりかえしている臓器です。しかも寝ているときは自動運動ですが、話すときは自分の意志で止めてみたり深い呼吸に変えたりが自由にできる手動運動に変わります。人間は声を出して話すときは息を吐きながらでなければできません。二足歩行と会話が自由にできることがあればこそ文明をここまで進化させることができたのです。間質性肺炎では肺は少しずつ硬くなり全体として容積が減り、肺胞の面積が減少していくやっかいな病気です。


 肺胞の壁が広い範囲で厚くなるのが間質性肺炎という病気です。皮膚にやけどをすると赤く腫れます。炎症がおこったせいです。軽いやけどでは痕かたもなく治りますがひどい場合には汁がでて、ときにはそこに細菌が感染してひどい炎症になることがあります。肺胞の炎症も同じで壁に起こった炎症は軽い場合には元の構造に戻ります。ところが炎症が強ければやけどの痕にキズが残るようになります。強い炎症の場合にはそこに細菌による炎症がおこることがあります。早く病気が進む場合、ゆっくり進んで行く場合があり、治っても傷跡を広い範囲で残す場合があります。壁が破れ、一部が厚くなってしまった紙風船は膨らますのも萎めるのも難しくなります。肺胞の場合には酸素を取り込み、二酸化炭素を外に排出するということができなくなります。酸素が十分に取り込めなければ体を維持するのが難しくなります。
 

リーボウの博物館

 
 近代における間質性肺炎の研究はアベリール・リーボウという米国の病理学者によってはじめられました。1960年代終りのことです。私が呼吸器専門医をめざした40年前は彼の名前を知らない人はいないくらい光っていました。彼がいた米国、ラフォイアにあるカリフォルニア大学サンジエゴ校にはリーボウの博物館(ミュージアム)があるというのです。ミュージアムといえば分かりやすく主要なものが展示してあり、それに解説がついている、その場面を想像してとても訪ねたくなりました。
 81年の春のことでした。一般公開はしていないが調べるうちにミュージアムを管理、守っている人はアブラハム博士、若い病理学者であることが分かりました。その人に自分がリーボウの博物館(ミュージアム)を是非、見せてほしいと手紙で頼みこみました。なんどかの手紙のやりとりでOKがでました。学会のついでを利用して訪ねることにしました。しかしこちらの予定は土曜日のお昼すぎでなければどうしても時間が取れない。ラフォイアはロス・アンジェルスから車で2時間余りのところでやや不便でしたのでレンタカーを利用し、知らない道を南に向かって運転。サンジエゴ校についたのは約束の時間よりも大幅に遅れ3時過ぎとなりました。彼は待っていてくれました。サンジエゴ校は米国では規模のちいさな大学ですがノーベル賞級の学者を輩出している有名な大学です。彼はここがミュージアムと、案内してくれた場所は小さな部屋、一つでした。そこにはスチール製のロッカーがところ狭しと立ち並び、窓ぎわに小さな顕微鏡が1台置いてあります。これがミュージアム、私は絶句しましたが案内してくれたアブラハム博士の説明はこうでした。リーボウは長年にわたってここサンジエゴ校で肺の研究を続けていた。この部屋こそが彼が研究を続けていた部屋でこのロッカーの中には彼が研究していた標本がある。どれを自由に見ても良いからといってくれました。
 ロッカーをひとつずつ開けてみていくうちにリーボウがどのようにして間質性肺炎の研究を進めていったかがおぼろげながら分かってきました。資料の中には原爆投下後、数日を経た時点で彼が米国の医師団の一人として広島で調査を行っていたことを示す論文がありました。日本の学者との共同研究であり、なんと日本語で書かれていました。ロッカーの中にあったのは一人ひとりの間質性肺炎の患者さんの記録でした。それも全世界の専門医からの相談です。肺の一部を切り取った生検の顕微鏡用の標本が並んでいます。典型的なものではこうでした。最初に主治医からこんな患者さんを診ているのだが病気の種類が分からないという詳しい説明、レントゲン写真のコピーがあり、そのあと肺の標本があり、ついでその患者さんがどのような治療を受けたかが付け加えられています。それらすべてにリーボウの考えがわかりやすく根拠を上げて説明しています。中には治療のあと患者さんが亡くなったあとに主治医から治療効果を細かく説明した文書が入ったものもあります。
 このようなファイルが1万件近くあるのです。私は数時間、その部屋で過ごしたのちにリーボウがどのような経験からあの分かりにくい間質性肺炎を病理学の立場で五つに分類したかが推測できました。また臨床医の立場で研究を進めるとすれば一人ひとりをできるだけ丁寧にみていくことの必要性、自分が診なくともその後を引き続き診てくれる他の医師との綿密な連絡を行い、多数のデータを自分の中で整頓することにより病気を研究する手法を学んだような気がしました。